盛中国氏のご逝去を悼んで

 中国のヴァイオリニストの代表的な存在で、焦鉄軍先生のご友人でもある盛中国氏が9月7日夜、心不全のため北京の病院にてご逝去されました。享年77歳でした。来年のコンサートに備え、リハビリの最中と伺っていただけに、突然の訃報を耳にし驚きを隠せません。

 盛中国氏は1941年、ヴァイオリン教授の父と声楽家の母の間に11人兄弟の長男として四川省重慶で生まれました。幼少より父の厳格な指導を受け、9歳の時には天才児として盛氏の演奏プログラムが1時間ラジオで放送され、大きな反響を呼びました。1960年にモスクワに留学、レオニード・コーガン氏に師事、1962年チャイコフスキー国際音楽コンクールにて栄誉賞を受賞。帰国後、中国国立音楽楽団独奏ヴァイオリニストとなり、年間100ステージをこなしながら、常に第一線で活躍してきました。

 焦鉄軍先生ご夫妻と盛中国、瀬田裕子ご夫妻は2003年の1月に初めてお会いになりました。とはいえ、焦先生は幼い頃、盛氏の演奏を実際にご覧になったことがありましたので、その時からご縁が繋がっていたことになります。それから16年余り、ご夫妻同志の交流は、家族のような関係が続いておりました。

 紀尾井ホール、浜離宮ホール、白寿ホールなどで毎年催されるリサイタルには、焦先生の多くの弟子たちが毎回訪れ、盛氏の演奏に酔いしれました。2007年からは、毎年正月に盛、瀬田夫妻が伊豆を来訪し、2時間に及ぶホームコンサートを行ってくださいました。恒例となりましたホームコンサートには東京からたくさんの方が聴きに訪れ、大家族のような和やかな雰囲気を盛氏も大変気に入ってらっしゃいました。

 また、盛氏は日本において「梁山伯と祝英台」「牧歌」「新彊の春」など、中国の楽曲を紹介するとともに、日本の楽曲を理解し演奏することにもご尽力されました。2011年には焦先生が日本古謡「さくらさくら」に触発され即興で作曲された「さくら幻想曲」をリサイタルで初演し、日本人の心に根付いた主旋律の変奏を見事に表現され、聴衆に深い感銘を与えました。

 私たちは盛氏との交流をきっかけに、良い音楽とはどういうものかを、先生から教えていただくことが出来ました。また盛氏との出会いが無ければ、他の音楽家と焦先生が交流することも始まらなかったかもしれません。本物の音楽は充実した身体から、そして正しい動きからという焦先生のお言葉を、少なくとも再現して見せていただけた貴重な演奏家でありました。

 焦先生と会食した時の楽しそうな笑い声、伊豆での様々な音楽家との交流、いつも音楽を口ずさんでいて握手をすると大きく温かな手の感触など、16年間の思い出は尽きることがありません。決して豊かではなかった時代から中国国民を音楽で癒し、日中の架け橋となって両国で活動された盛氏の功績をここにたたえ、哀悼の意を表したいと思います。 

 現在、中国では最も「梁山伯と祝英台」を数多く演奏した人として訃報が報道されておりますが、伊豆研修所において間近で「梁祝」の演奏を聴き、皆、感銘を受けて涙をこぼしたことが忘れられません。梁祝の物語は最後に亡くなった主人公が蝶となって空に飛び立ちますが、盛氏が安らかに旅立っていったことを願い、ご冥福をお祈り申し上げます。

  
 

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