菅野美智子さんの著作 『雨の歌 ゲルハルト・ボッセ、その肖像のための18のデッサン』に寄せて

 2012年に90歳で亡くなったドイツ生まれの音楽家、ゲルハルト・ボッセさんと焦鉄軍先生がはじめて出会ったのは、2007年夏の霧島国際音楽祭でのことだった。
 早いもので、あれからもう干支が一回りしたわけだが、ボッセさん亡きあとも奥様である菅野ボッセ美智子さんと先生の交流は続いており、その後の岡山潔・芳子夫妻との深いご縁にも繋がっている。そしてこのたび、美智子さんが珠玉の随想集『雨の歌 ゲルハルト・ボッセ、その肖像のための18のデッサン』(アルテス・パブリッシング)を上梓された。
 あえて随想集、と書かせていただいたが、この本は、ドイツから日本に移り住んで美智子さんと結婚したボッセさんが、生活を共にする中で語った自らの人生や音楽、あるいは二人が共有した忘れ得ぬ芸術的な体験――それは音楽だけに留まらず、美術や文学にまで及ぶ――を、美智子さんの研ぎ澄まされた感覚で切り取り、美しい文章に紡いでいったものである。
 美智子さんがめざしたものは、単なる評伝や回想録ではない。人間のもっとも深いところで共鳴した最愛の人物を、「デッサン」としてこの世に書き留めることであり、この困難な試みは美智子さんのたぐいまれな文才によって見事に成功している。本書は、ゲルハルト・ボッセという激動の時代を生きた稀代の音楽家が、日本という地に足跡を残した証(あかし)にとどまらず、互いに尊敬し、慈しみ、高め合っていく夫婦というもののありようまでも、私たちに教えてくれるものとなった。
 書名の『雨の歌』とは、ブラームスの〈ヴァイオリン・ソナタ第1番〉の愛称だが、本書の冒頭に置かれた同じく「雨の歌」と題する超一級品の随想を読めば、これが二人の出会いの曲であり、この作品に込められたブラームスの深い悲しみと限りないやさしさが、「夫の生涯と私に流れた時間に呼応する」ものであったことを、読者は静かな感動とともに知ることになるだろう。
 本の帯に書かれた「ああ、ブラームスは最後にこんな光を見せてくれるのか」というフレーズは、ボッセさんがこのソナタを評した言葉であると同時に、幾多の困難を乗り越えてきたボッセさんが、人生の最終楽章で美智子さんという女性と出会い、さらには焦鉄軍という人生の師を得た感慨が込められているかのようだ。
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第一コンサートマスター、同弦楽四重奏団第1ヴァイオリン、同バッハ管弦楽団のソリスト兼リーダーを歴任し、ヴァイマールとライプツィヒ両音楽大学で教授をつとめるなど、旧東ドイツで音楽家としての頂点を極めながら、72歳で日本に移住し、生涯現役を貫いて音楽を深めていったゲルハルト・ボッセは、最愛の妻である美智子さんがこの本を著したことで、永遠の生命を得たといっても過言ではない。
 美智子さんの献身に、心からの敬意と感謝を捧げたい。

 岩野裕一(音楽ジャーナリスト)